先日、カザフスタン出身の白髪の初老の男性と話をした。その人は比較的小柄ながら筋肉太りのような異様な体型をしている。いったい、そのゴツい体格はどこから来ているのかと彼に尋ねたところ、とても興味深い話をしてくれた。
彼はもともと、とても小さな村に牛や豚、鶏などの家畜と一緒に住んでいた。毎朝、スコップを持って糞の始末や餌やりをする。家には水道がないので遠く離れた場所に200Lの水を汲みに行く。夏は+40度、冬は-40度で、薪割りや雪かきもしなければならない。トイレは外にあるので、どれだけ寒くても、その中を歩いて行かなければならない。家の仕事を終えると町へ仕事に行く。え!?仕事があるなら、苦労してまで家畜なんか飼わなくていいんじゃないかと聞くと、どうやらスーパーがないので、ほぼ自給自足らしい。野菜もパンも自分たちで作る。奥さんは羊から毛糸を作り、セーターを編む、子供も親の手伝いをする。家なども自分で作ったらしい。輪島功一の幼少期のような大変な生活が彼をこんな体型にしたようだ。なるほど、だから彼はベルリンへ移住したのか。しかし、ベルリンでも様々な肉体的重労働で病気になり、現在は博物館の監視員をしている。我々は普段、生きているという実感をなかなか得ることはないが、彼の話を聞いた時、なるほど彼は生きてきたんだ、と、当たり前のことを聞いてる僕は感じた。先のレジデンスで僕が経験したトライアスロンのような生活が何でもないかのように思える。話が終わると彼は余裕をこいたように、鳴っていない、意味不明な口笛を吹いた。
数日後、家を出ようと準備をしていると、僕はぎっくり腰になってしまった。今までにも何度か経験はあるが、こんなに辛かったのは初めてだ。激痛で床に倒れそうになるが、一度倒れるともう起き上がれないのは目に見えていたので、椅子に座るが、それでも強烈な痛みでどうしようもないので、携帯を握りしめてベットに入る。一度、横になるともう全く動けない。寝返りもできないし、布団からはみ出た足を10cm引き戻すことも出来ない。何時間か寝たけど、まったく起き上がれない。喉が乾いた、トイレにも行きたいが何も出来ない。救急車を呼ぶか迷う。数センチ体を動かしては休み、また数センチ動くということを繰り返して、1時間かけてやっと立とうとしたが、家具にもたれかかっても、激痛で直立できないし、そのままじっとしていても耐えられないくらい痛い。また、ベットに戻るともう降り出しに戻ってしまうので、なんとかキッチンに行くが痛すぎて頭の血の気が引いた。何とか水分補給とトイレを済ますが、辛すぎて吐き気がする。ベットに戻り、やはり救急車を呼ぼうかと考える。いや、彼らが来たところで今度は玄関の鍵を開けに行かなければならない。もう、無理だ。100ユーロ払って鍵屋を呼んだところで、結局病院のベットで寝るか家のベットで寝るかだ。しかも、明日締め切りの書類を仕上げなければならない。というわけで、またそのまま横になり、夜になって何とか机に向かい仕事を済ませた。
三日間ほど部屋にこもって、腰の状況もだいぶましになった。知人の母親が牧師さんで、クリスマスに難民たちをよんで、みんなでご飯を食べる催しを開催する。僕も腰の痛みに耐えながら近所のスーパーに行き、手間暇かけて料理した。ムスリムが多いので、内容物には気を使う。それをまた、痛みに耐えながら遠くの教会まで持っていく。友達にホームパーティーに呼ばれていたけれど、難民のいる街でパーティーは楽しめないのではないかと思い、こっちを優先した。いざ到着してみると、噂には聞いていたが、難民達はとてもきちんとした身なりをしている。むしろ、その辺りのベルリンの人たちよりも服装に気を使ってるような感じすらする。で、料理を出したけれど、結局半分くらいしか食べてもらえなかった。
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