先日、永観堂(禅林寺)を拝観し枯山水に心を惹かれた。
龍安寺の方丈庭園に対してこちらはかなり無機的なフォルムであるが、そこに掛かる松が全体に対して絶妙な美を生んでいる。
西洋のジオメトリックに構成された庭園に対して、枯山水の構造には一見して論理を発見するのは難しいが、かなりストイックな精神世界の境地を感じる。そして、同時に安らぎをも感じるのはやはりこの松のせいか。

その後、訪れた東大寺では南大門の金剛力士像に、今更、日本にもこんな強烈な彫刻があったんだと驚愕した。その後、東大寺大仏殿(金堂)の広目天像と多聞天像を見て再び驚く。彫刻としての技量も然ることながら、鎧の装飾にも一つの世界を感じた。

今、私は客観的にしかそれらを見ることができないが、神が生きていた時代には僧侶も職人も民衆もみんな精神世界に一つのリアリティーがあったのだろう。
努力したところで、当時の主観を獲得できるか分からないが、逆に現代における神とは何であろうか?
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